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中島かおり道 私はこうして私になった

「美白の女神(ミューズ)」「美白大臣」「TV通販の女王」と呼ばれる中島香里。
しかし、香里が香里になるまでに波乱万丈のドラマがあった――!
怒濤の半生を全24回でお届けします!

第二章 《香里の選択 運命を変えた出会いと結婚》


クリスマスから年の瀬、そして新年。
お正月に「ショップチャンネル」に出演するとき、中島香里はあでやかな着物姿で登場する。
それを楽しみにしている視聴者も多い。ショップチャンネルのスタッフたちもそうなのだという。

「着物がきらびやかだから綺麗なんじゃないんです。着こなしてらっしゃるから美しいんですよ」
(スタッフ)

「つるりんこん!」「私が証明です!」と言いながら、「チェンジ」シリーズをすすめる中島香里しか知らない方は驚くかもしれない。着物の着こなしが美しいのだ。

着物の着こなしや美しい立ち居ふるまいというものは、すぐに身につくものではない。ちょっとした立ち居ふるまいを見ても、彼女がただ者ではないというのがわかる。
中島香里の着物の着こなしはどこから来たのか。
今回は、彼女のルーツ、生い立ちを追ってみよう。


「素敵なレディになりなさい」。厳しくしつけられた少女時代

中島香里は名古屋で生まれ育った。

自動車の搬送をする海運業の社長令嬢として、結婚するまでを名古屋で過ごす。高度成長期で、日本経済がもっとも活気にみちていた時代である。

何不自由ない生活だったが、厳格な両親によって厳しくしつけられた。これは香里の母が、尾張藩にもつながる士族の娘だったことが大いに関係があるだろう。

品格を保つこと、自分の考えをもつこと、そして美しく生きることが美徳であるという「武家の娘」であることの誇りが、まだ幼かった香里へと教えられたのだ。

さしずめ、母を専任コーチにした、素敵なレディになる個人レッスンである。

着物を着たときの所作の美しさも、この頃に自然と身につけていたものだ。 なにしろ、日本舞踊、琴、長唄、三味線、ピアノのレッスンと、小さな子供の頃から、日々お稽古の予定でいっぱいだったというのだ。


父に連れられて、社交界デビュー

大学時代の香里を写した一枚の写真がある。上品なドレスを着ておだやかにほほえむ姿は、絵に描いたような「箱入り娘」である。この後の彼女に、波瀾万丈なドラマが待っているなんて、このときの彼女、そして両親には想像もつかないことだっただろう。

社交界デビューをしたのもこの頃だ。父の会社のパーティーや進水式などに、父と連れだって出席し、政財界人たちがいろいろな話をしてくれたという。でも、彼らが言うのは決まっていつも「仕事をしたら女は終わりだよ」ということばかり。その頃はまだ、日本を動かす男たちにとって女性は、美しく着飾って隣でほほえんでいればいいという認識だったのだ。

香里は、笑いながらそれを聞いていたという。そういった社交の場で、日本の経済がどんなふうに動いているかを見ることができたのは大きな勉強になったと、香里自身も著書などで語っている。

その頃の彼女に「仕事をする女性」になるという野心があったのかどうかはわからない。 あったとしても、おそらく本人ですら気づいていなかっただろう。
だが、彼女自身も気づかないところでその後の中島香里の生き方を決める「何か」が、そのときすでに生まれていたのだと思う。


運命の相手、思いがけない出会い

「嫁になどいかんでよろしい。いつまでもうちにいたらいい」
それが香里の父の口癖だったという。よほど娘がかわいかったのだろう。
また、トップに立つ者として、娘のなかに同じ種類の輝きを見ていたのかもしれない。

当時の女性たちのほとんどがそうだったように、その頃の香里も、オシャレな洋服や化粧品に人一倍の興味をもっていたという。
ある日、天然素材を使った基礎化粧品を気に入り、まとめ買いをすると割り引いてくれると聞いて
「それならまとめて」と、すぐに大量注文をした。

その化粧品は、香里の肌には合っていたのだが、母の肌には合わなかった。
しかし、そんなトラブルが、香里を一人の男性に引き合わせたのだから面白い。電話で化粧品会社に問い合わせるたびに、いつも誠実に対応してくれる男性がいた。

それが香里の夫で、現クリスタルジェミーの会長である中島克己だったのだ。

中島は、その化粧品会社の社長だった。社員が3名いるだけの小さな会社だったから、お客様の対応も中島自身が担当していたのだ。中島の誠実で紳士的な応対もあって、香里はいつのまにかその化粧品のいちばんの愛用者になっていた。

その頃の香里に、華やかな家柄や経歴を持つ男性とのお見合いの話はいくつもあった。

だが、同世代の彼らと話しているよりも、歳は一回りも上の社長兼営業マンの中島から、事業展開や苦労話を聞いているほうがずっと面白かったのだというのも、いかにも中島香里らしい痛快なエピソードである。

そして中島の誠実さや人柄にも惹かれていき、中島からプロポーズをされると香里はその場でOKをしたという。

両親に反対されるのは分かっていたが、それでもいいと思った。中島こそが「この人と結婚したい」と生まれて初めて思った、まさに「運命の相手」だったのだ。


しあわせな家庭生活。だが、彼女を待っていたのは…

思った通り、結婚は両親から大反対をされた。とくに父の怒りは大きく、反対を押し切る形で香里は家を出た。名古屋市内にマンションを借りての新婚生活がスタートした。

新婚生活といっても、中島の拠点が東京だったため、仕事の合間に名古屋へ通ってくるという変則的な生活であった。二人の間に長男が生まれ、小学校の入学を機に東京のマンションで、親子三人水入らずの生活が始まった。

「私は社長である前に、主婦なんです」

これは「香里語録」のなかでもとくに印象的なひとつ。
周囲の者から見れば「スーパー主婦」や「カリスマ主婦」という言葉を使いたくなってしまうのだが、
彼女が好んで使うのは「主婦」という二文字だ。
そして「専業主婦」として過ごしたこの頃から、「美白のミューズ」「美白大臣」と呼ばれる現在まで「主婦である」というスタンスを崩さない。
主婦としての仕事と時間を、心から愛し大切にしているのだろう。

ドラマチックに始まった香里の結婚。それは、両親の考えた「幸せな結婚」とはちょっと違っていたかもしれない。 けれど夫と子供と過ごす日々は、幸せな生活を自分の手でつくりあげる、夢のような日々だったのだ。

『運命の日』 中島かおり道 第二章

ところが、そんな幸せな生活に、
運命の日が突然やってきた…
ある日、夫からこう告げられたのだ。

「実はうちの会社、相当危ないんだ」

夫からそんな話は聞いたことがなかった。
会社もうまくいっているものとばかり思っていた。それが…、

「…倒産するかもしれないの?」

人生最大のピンチ! このピンチを、中島香里はどう切り抜けるのだろう? どうする? 香里!



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